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AIDS文化フォーラムinブログ

第14回AIDS文化フォーラムin京都 全体会(日曜日)

2024.08.31

 

全体会2 10月6日(日)15:00~16:30

テーマ:「薬害エイズ和解から学ぶ感染症との向き合い方」 

和解によって本格的な拠点病院体制とHIV陽性者の身体障害者手帳制度、自立支援制度などが整備されました。この制度は、感染経路を問わずに利用できることを明確に示した点で、画期的なものでした。開始の経緯、そしてそれがその後の日本のHIVの診療にどれほどの恩恵を与え、また予防にもなったかを長年陽性者のケアや支援に関わった方々からご説明いただきます。今後の感染症との向き合い方を学ぶという点でも、すばらしい手本になると思います。

企画の経緯をもう少し、ご説明いたします。日本では1996年に薬害の和解があり、ちょうどそのころやっと3剤併用のHIV治療が可能になりました。まだ性感染症のHIV陽性者は少なく、ほとんどの病院でHIV治療の経験はありませんでしたが、和解によりエイズ拠点病院制度ができました。拠点病院では最初からトップダウンで全科対応となり、感染対策、性の多様性の理解、カウンセリングマインドなど、陽性者を迎える万全の準備ができました。ただ医療費はべらぼうに高く大きな問題でしたが、感染経路を問わない身体障害認定とそれによる自立支援医療により、CD4500未満の規定はありましたが、医療費を気にせず治療を受けることが可能となりました。UNAIDS(国連エイズ合同計画)では2015年に初めて、90-90-90を提唱し、HIV陽性者を見つけ出し、皆にHIV治療を提供し、コントロールすることが新規HIV陽性者を減らすには大切と言いました。陽性者を見つけ出すことはともかく、後半の診断さえされれば、皆に治療の提供とコントロールが約20年前から日本ではできていたということです。10年余りの長い薬害の訴訟の、当事者、支援者の活動の中で、感染症との向き合い方を会得され、実践された結果と思い、頭がさがります。悪いのはウイルスであって、陽性者とは共に生きるというメッセージをいただきました。これは今後も遭遇するであろう新しい病原体との向き合い方の手本になると思います。感謝と未来へきちんと伝えたいという想いで、この全体会を企画いたしました。当時から現在まで活躍されておられる演者の皆様が、今回ご遠方より来ていただき、ご講演いただけることに深く感謝いたします。

 

司会:来住知美さん(日本バプテスト病院 総合内科)

「薬害エイズがもたらした制度と今後の課題」

若生 治友さん

特定非営利活動法人ネットワーク医療と人権(MARS) 理事

1995年から血液製剤によりHIV感染した血友病患者・家族の支援団体HIV-NGOケアーズに関わり、大阪医療センターのHIV担当情報職を経て2000年MARS理事長に就任。薬害HIV感染被害者の支援活動を行いながら薬害調査研究を実施。

「それぞれのもうひとつの闘い」 

根岸 昌功さん

ねぎし内科診療所院長

1981 年から2006 年まで東京都立駒込病院感染症科で勤務、1985年AIDS診療を開始。エイズ関連法制定、HIV感染症の内部障害認定にも関わり、2007年からねぎし内科診療所を開設、感染症の診療とカウンセリング、他の診療科との連携、他の医療機関や行政、他の活動団体との連携・調整に当たり、HIV陽性者及び社会的背景についても提言を続けている。

齋藤 洋さん

メモリアル・キルト・ジャパン、染色作家 風工房主宰

染色歴53年.国内外で個展多数。1988年NY・聖ヨハネ大聖堂での染布を使ったショーの際、AIDSメモリアルキルトに出会う。1990年 HIV/AIDSボランティア団体Memori Quilt Japan設立。 東日本大震災支援ボランティア団体「風の布パピヨン」設立

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